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| 福島編 |
根本良一さん(「合併しない宣言」の矢祭町長) |
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| 金はない、努力するしかないよ |
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| 「この人、矢祭のスター。熊本にトレードするか。でも、おめえは『係長いらない』とか言って評判悪いぞ」「春日局(かすがのつぼね)とか言われてますが、出ないでいるクイは腐っちゃうし、出過ぎると打たれないから」「たかが80人のための行政じゃあるまい。7000人の住民のためにやってしまえ」=消防隊の制服を着た高信由美子さんと |
奥州みちのくの旅はここから。役場のホームページに、そうある。福島県の最南端。茨城県境の人口七千二百人の矢祭町。大和朝廷が蝦夷(えぞ)の南下を防ぐために築いた「白河の関」までは一時間ほどである。
東京から新幹線で一時間半。新白河駅から車で一時間。夕方の役場へ急ぐ。築四十年、田舎の分校風の二階建て木造の玄関を上がると町長の根本良一(66)が出てきた。
「ピカピカだよ。前より余計ピカピカだ」。開口一番、庁舎の清潔さを宣伝。清掃は職員が交代でやる。助役や教育長もトイレ掃除。自分たちで始めてからは女子トイレに髪の毛一本落ちなくなったという。
税の滞納整理も役場一丸。助役、教育長、総務課長が地区ごとの本部長となり、夜は超過勤務手当のつかない課長クラスが三人一組で回る。「月五千円でも一万円でもいいから納税の意思を見せてくれと頼む。つらいですけど、税は住民に公平ですから」と助役の古張允(こばりまこと)(63)。
役場職員の消防隊もできている。「消防団と言うと『酒ばかり飲んで寄付ばかり取りに来る』印象でしたが、自分がやってみるとホッペタ凍りそうです。大変さがわかった」と自立推進課の高信由美子(53)。ポンプ車は他の町村からタダでもらい、赤く塗り直して使っている。
「合併で自治体を追い込もうとする総務省さんのシステムは私どもにとってかなりいいことであった。あれがなければ、のんびりしてたな。合併しないと宣言してからが町づくりと呼べる」と根本。「しかしオイラをパンダのごとく見るのは何事ぞ。当然のことをやって目立つことがおかしい。国にもどこにも金はない。努力するしかないよ。どこでもやればできることでしょ」
●堀部安兵衛になって
矢祭を「全国区」にした二〇〇一年十月末の合併しない宣言から三年が経つ。議会が「合併せず」でまとまり、「あとは町長に任せるよ」となった時、根本は理論づけの声明文が必要と考え、当時の総務課長、白石勝夫(63)を指名した。「あなたには堀部安兵衛になってもらう」
堀部は「ご政道をただす」赤穂浪士の中で剣も文も立った。「後世に私どもの戦いは正しいのだと評価される」ための宣言文だった。
辺境の矢祭町は合併を前提とした町づくりはして来なかった。昭和の大合併のしこりも残っており、宣言には小さくとも血の通った行政を貫く思いを込めた。議会が18対〇で可決すると総務省は幹部を派遣して翻意を促したが根本は拒否。宣言は保身のためかと疑われた議会は〇二年六月、議員定数を十人に削る。四年で一億二千万円の節約である。
一カ月後、根本は「矢祭町の人間が他所で住民票を取るのは年に十件ほどで利用価値が低い。個人情報がもれる危険もある」と住民基本台帳ネットワークからの離脱を全国で最初に宣言。「国に盾つく矢祭は不良だな」とささやかれもした。
「住民福祉の公共投資も節約も宣言文通りやってきた」と根本。「東京では『一万人以下の自治体はシャーベットにしてしまえ』という議論がある。合併が地域のためになるという確信があればやったらいいが、特例債というニンジンに飛びつくだけならダメだ。そういう人間は議員や首長になるべきじゃない。町が壊れるし、人を不幸にする」
●加速度つく行革
「町の外交官」を自認する根本はまっすぐ町長室に入って、用が済めばさっさと帰る毎日。「番兵じゃないから『ご機嫌どうですか』なんて言っておれるか。町をどうするかを考えるだけだもん」と言い、「職員の世界は知らないよ」が口癖。
ところが合併しない宣言をした途端、全国から来る視察団は役場の行革を質問攻めに。視察の窓口だった高信由美子は危機感を抱いて根本に改革を直訴。「お前さんたちが自分で決めろよ」と根本。町長指示で専任チームが発足する。
ポスト削減に抵抗は強かったが、〇三年八月に七課を五課に縮小。自立推進課もつくって税務課は総務課の中に入れた。係長制はやめ、グループ制に。「勤めている人のために朝七時半から夕方六時四十五分まで役場を開けましょう」と職員。「やりな」と根本。交代勤務で土、日と元日も朝八時半から開け、「年中無休の役場」が誕生する。
「合併しないと言い切ったからには、それくらいやろう」と職員組合で話して決めたのが「出張役場」。近くの職員宅で税金支払いや印鑑証明などの用が足せるようになった。「年輩者や車がない人に重宝されていますね」と総務課総務グループ長の大串肇(はじめ)(49)。幼保一体化も実現。親が望めば幼稚園でも保育所と同じ夕方六時四十分まで預かる。
●町長運転手が実は
職員も減った。十年前は百五十人体制。今は嘱託を原則なくして八十一人。八年後は五十人に。「職員が減ってもサービス低下はしません。そういうのは当然と思ってやっている」と総務課長の金澤邦昭(59)。
「役場はいらない職員の集まり。高度成長期に交付税もバンバン来て一人で間に合うところを三人半がかりでやって来た。国も当然“廃職”すべきだが役場も過員を見直す」と根本。〇五年春には収入役を廃止。総務課長と議会事務局長、公民館長と教育課長が兼務となる。実は町長運転手、窪谷富夫(56)も矢祭町山村開発センターの所長だった。
今年四月「お前やれよ」と発令。四、五人いた職場は国際交流員のオーストラリア人女性と二人だけに。窪谷は図書の貸し出しからトイレ掃除、庭木の手入れと駆けずり回る。
「若返ってキャッキャ言ってやってるよ。『“ただ飯”食うだけで何もせん』より『役場の皆さんありがとう。大したもんだ』と言われる方が良かろうとオレは言うんだ」
職員は減らしても給料は下げぬやり方と同様、根本の人心掌握の妙を見る思いだった。
(敬称略、編集委員・平野有益)
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| 鼻水たらし引退撤回 独立独歩へ手は打った |
〇三年三月の定例議会最終日、引退声明の記事を見た町民三百人が押し掛け、町長室を占拠。「最後の晴れ舞台」に銀座で新調したスーツで出勤、家族も赤飯を炊いて送り出した根本は議場に入れない。「女の人が泣き泣き、背広やズボンをギュッとつかんで押さえちゃうんです。あれは人間バリケードかな」と助役の古張。ついに根本は鼻水を垂らし涙声で「行くところまで行く」と引退を撤回。傍聴席はバンザイの嵐となった。
「七千人の町民がいても最後はお一人、お一人なんだよ」と根本。自宅では、よろず相談に応じる。「無理だっぺと言うんだが離婚の相談まで来るぞ」。初当選以来、水道料金や幼稚園・保育園料、町営住宅の家賃を上げたことはない。介護保険料は福島県一安く、十一年前から中学三年全員をオーストラリアへ派遣。公共投資も大方済み「小さい町だが住むには困らない」と自信を見せる。
十六年度は二億六千万円節約。年度末の貯金も十二億円になるが自主財源の強化に誘致企業最大の空気圧縮メーカーSMCと交渉。既存工場の増員も含め従業員二千人の新工場進出で調印し、独立独歩へ手は打った。
その根本もいずれ役場を去る。「後のことまで心配しておれるか。人間を減らし、組織もどんどん変えて、職員が変わらざるを得ないようにしておくしかないんだよ」
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| ■プロフィール |
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| 郷土訪問の「矢祭ふるさと会」会員ともちをつく=滝川渓谷 |
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■1937年 |
11月30日、福島県矢祭町で生まれる |
| ■56年(18歳) |
学校法人石川高校卒。高校三年の初夏、父の交通事故死で進学を断念し家具店を継ぐ
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■83年(45歳)
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4月、矢祭町長に初当選 |
| ■2001年(63歳) |
10月31日、議会が「市町村合併をしない矢祭宣言」
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| ■02年(64歳) |
7月、住民基本台帳ネットワークへの不参加を表明
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| ■03年(65歳) |
4月、連続5期無投票で6期目に。6月、「オイラたちは大して働いていない」と議会に三役と教育長の給与引き下げを提案、総務課長と同額に |
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勉強家。高校の教科書を毎年取り寄せ、共通一次にも挑戦。幕末に農民兵をつくった高杉晋作が好き。「さわやかだもの」。主家の尼子氏再興のため「われに七難八苦を与え給え」と戦い抜いた山中鹿之助も信奉する。マラソンの高橋尚子と野球の高橋由伸のファン。家族は妻と娘2人、息子1人。家具店社長も兼ねる。
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| 2004年11月18日掲載 |