ボランティアの皆さん、ありがとうございました!!
     
みやま社協だより 2004.11 平成16年秋号より


ボランティアをした方、ボランティアを受けた方、美山町水害ボランティアセンターのスタッフなど等、様々な立場の方の、声をいただきました。

貴重な体験でした
   茨城県つくば市 秋元靖史
 ナホトカ号座礁や阪神大震災など、種々の災害でのボランティアの活躍に感心する一方、傍観者の自分にふがいなさも感じていました。今回、たまたま仕事上の融通がつき、二日間だけでしたが現地でのお手伝いが可能になりました。
 いくつかボランティア活動の経験はあったものの、災害復興活動は初めてで多少の不安はありました。しかし案ずるより産むが易しで、下調べの段階で接触した福井県はじめ各種窓口の説明は適切、現地入りしてからもボランティアセンターを中心とした案内は必要かつ十分。結果的には何の不安もなく2日間を過ごすことができました。駅までの送迎や、真夏を配慮しての休憩時間の標準化、宿泊場所の手配などは至れり尽くせりで、こんなに気を遣ってもらっていいのかという気持ちにさえなりました。私の現地入りが災害発生から十日以上後だったとはいえ、この間の体制整備・連絡調整には、行政とボランティアリーダーとの間で並々ならぬ努力があったものと思います。本当にご苦労様でした。
 現地活動そのものについてですが、このような災害の現場を目の当たりにしたことは初めてと言ってよく、大変貴重な経験ではありました。しかし、丸二日間ひたすら泥運びをしましたが、取り除けた土砂の量などたかが知れており、その家屋で元通りの生活ができるようになるにはまだまだ気の遠くなるほどの労力がかかることは明白でした。今さらながら自然の猛威に愕然とし、自分の行動などほんの気休めだったのではないかと無力感に襲われたことも事実です。
 今後についてですが、現地の対応に今回以上のものは望めないと思います。ここ数年のボランティア側の経験値の向上と、受容する行政側の連携は十分評価に耐えうるものでしょう。あとは、今回の経験を継承するボランティア(リーダー)の育成に公的私的な便宜を図ること。さらに言うなら、手足となる個々のボランティアがこうした活動により参加しやすくなるような制度作り(例えば企業や大学等が特別休や単位を認めるなど)、ができればベストでしょうか。
 今回に限らずですが、災いを転じて、より住みやすい地域社会の形成につなげることができればと切に願っています。

福井水害復旧ボランティアに参加して
   大阪府藤井寺市 辻野一郎
 見事な運営、特に情報発信のおかげで、初日からスムーズに活動できました。住民センターや本部スタッフの方とも交流でき、勉強になりました。中でも「辛抱強く遠慮深い土地柄か、ニーズの掘り起こしが難しい」と。被災者、ボランティアの心情が伝わる話ですが課題かも知れません。また地元の方から感謝・応援の言葉をいっぱいいただき、夏の海山、冬のカニ、ナホトカ号と、しばし訪ねる福井が、一層好きになりました。ありがとう。
ただ、住宅から運び出した泥土などの処理について、行政とボランティアの作業分担については、職業柄(大阪府の職員)少し気になります。

美山町水害ボランティア後の気掛かり
   神戸市西区 酒井貞宣
 7月18日の災害発生から十日後の二八日早朝神戸を車で発ち十一時に美山町ボランティアセンターへ着いた。三日の予定を一日延ばし酷暑の作業に汗を流し被災状況を見聞きし胸がつまりました。
 7/28(水) 5名でセンターの左岸上流徒歩15分、農家の納屋の泥と水浸し藁/腐敗芋などの搬出焼却。
 7/29(木) 10名で美山駅前、縫製工場の屋外約150坪の泥出し。重労働だったので重機も参入。
 7/30(金) 20名で赤谷地区への荷揚げ。午後は横越地区で水田の流木/ごみ収集と用水路の土砂出し。
 7/31(土) 20名で東河原の織物工場で織機の泥洗落し・床/溝の土砂泥水汲み出し。ボビン糸の切取り。
 4日目の織物工場は10mも増水した足羽川の右岸にありコンピューター制御の織機24台が胸までの濁流に長時間さらされたため機械の隅々まで砂・粘土が詰まりブラシと放水で洗っても洗っても際限ない状況で、電子機器はダメとしても修理し再興できるようにと女子二名も含め全員が汗と泥水でビショ濡れになり懸命になった現場である。
 その後が気になり先日電話をしたところ、奥さんから「電子部品を取替えても将来に亘って保証は出来ないとのメーカーの話しから屑鉄として出すことにした」と気掛りごとが現実のもになり、「廃業も考えたが、銀行融資を受けて来春にも立ち上げることにした」と元気な声にひとまず安堵、この先苦労を覚悟の前向きな決断に、心から「頑張って下さい、いつかぜひ立寄りたい」と受話器を置いた。
奥さんとの会話によると、私たちの作業のあとも百数十人のボランティアが入ったとのこと、これらの方々も再興を願っているでしょうから一緒に応援したいものです。
 <要望>送迎車での行き帰りに折立や蔵作で見た腰まで土石で埋まった手つかずの民家、濁流で壁をぶち抜かれた多くの建物、集落を孤立させた道路崩壊、越美北線などについても気掛りだったが、四国豪雨・16号台風・18号台風やアテネオリンピックにより美山町のことはTV報道から皆無になりました。そこで、出来ればホームページに、生活環境の立直ったところ、まだのところ、今後の見込みなどを記載して頂きたいなと思います。

センタースタッフとして
   丸岡町 高柳成江
 今回の水害ボランティアに六日間参加させて頂きました。初日はちょうど町民ボランティアセンターが開設された日でした。私達は、センターのスタッフとして仕事を任され、電話の対応などいろいろな仕事をさせて頂きました。実際、美山町の地理的なものもあまりよく分からないままのスタートでしたので一度に覚える事が多かったのを思い出します。
 ボランティアセンターが立ち上がって最初の土曜日の大混雑の中、ある一人のボランティアの方に、「スタッフが大変なのも分かるし、一生懸命して頂いているのも分かる。現場まで輸送しなければ行けないのも分かる。けれども、私達は、なんでもいいからお手伝いがしたくてセンターへ来てるんだから、この気持ちを分かって下さい。お願いします。歩いてでも行かせて下さい。」と言われました。私もボランティアで来ている一人なので、気持ちはよくわかりました。社協の方とも相談して近くの場所へ歩いて出発して頂きました。その時、助け合いの心、人が集ればこんなに凄い力になるんだと本当に感激しました。
 全国の方々との出会いがあり助け合いのあたたかい気持ちでいっぱいの美山町水害ボランティアセンターで仕事が出来て、とてもうれしく思いました。
   (数日間仕事を休んで、Vセンタースタッフとしてマッチング作業などに従事して下さいました)

福井県でボランティア活動に参加して
   名古屋勤労者市民生協  村田光生  
 福井県生協連からの被災地ボランティア支援要請を受けて、職員にボランティア支援を呼びかけ、7月24日に2名が参加しました。
行政はシャトルバス(路線バスをチャーター)を福井駅から運行して美山町ボランティアセンターまでの足の確保をし、ボランティアセンターからは車で現地移動の段取りが取られていました。参加者にはチラシが配られ、受付から帰るまでの流れと、「復旧作業をされる方へ」という注意書きがきめこまかく書かれていました。24日だけでも3000人のボランティアが活動したとのことですが、大きな混乱もなく段取りよく進められ、阪神淡路大震災以来の各地での災害ボランティア活動の経験の積み重ねが生かされているのを感じました。
 少しでもお役に立ちたいと思い参加しました。作業は楽ではありませんでしたが、被災者の方の「助かりました」のことばで、お役に立ててよかったと思いました。福井県でのボランティア支援体制に学ぶところがたくさんありました。県外からのボランティアの受け入れは終了とのことですが、被災者支援はまだまだ必要だと実感しました。県外からできることをしていきたいと思います。

ボランティア活動の注意点
   日本生協連関西地連 西島秀向 
 ボランティアセンターから活動指示書を受け取って、いくつかのグループに分かれマイクロバスなどで現場へ移動しましたが、現場に行くとそこここに土砂崩れがあり、瓦礫があり、傾いた家、泥で埋まった庭などが見えてきました。私が行った所は、蔵作地区といい足羽川よりも高い位置にあるのですが、足羽川に流れ込む支流が氾濫して被害を受けたのです。
 道路であったところに川が流れており、1階の1/3くらいが土砂に埋まっていました。結構大きな石が混じっているので、角スコップでは歯が立ちません。まず、つるはしで崩してからすくい取るという作業を繰り返します。暑くて、とても長くは続けられません。30分やって10分休むという話がありましたが、そんなことはとても無理で、実際には20分やって20分いやそれ以上休むというところでしょうか。  少しでも涼しくと、休憩の時は泥色の川に入って涼みました。そんな作業の隣でショベルカーがひとすくいすると100回分くらいの量を軽々とかき取りました。重機の力というか人間の非力さを思い知って、その場の人は一時がっくりしました。しかし、やはり家の間際や細かいところは人間の出番です。重機や他の人と協力し合って少しずつ作業を進めましたが、復旧まではまだまだかかるなと思いました。
 驚異的な暑さの中、暑さ対策と無理をされず充分な休憩を取られること、無事に活動を終えることがボランティア活動の大事な注意点ではないかと思います。

私に出来ること
   明倫中一年 吉村萌
 祖父母の住む美山町蔵作は、今回の福井豪雨で大きな被害を受けた地域の一つ。足羽川と蔵作川の氾濫によって、小屋や乗用車、大きな岩、雑木、家など全てのものが濁流に飲み込まれ、一瞬にして泥の海と化した。祖父母達は逃げることも出来ずに、ただ呆然と立ち尽くすだけだったそうだ。川となった我が家でなすすべもなく、五時間後にようやく消防隊によって救出された。私達家族は、祖父母がケガもなく無事だったことを心から喜んだ。
 翌日、父と母は何ヶ所もの通行止めをさけ、なんとか祖父母の家にたどりついた。美山へ向かうまでのあまりにも悲惨な光景に二人は言葉を失ったという。そして祖父母の家を見た瞬間に、母は涙が出そうになるのを必死でこらえたという。父は、子どもの頃から暮らした懐かしい家の変わり果てた姿を黙ってただじっと見つめていたという。その日から祖父母そして父母の暑くて長い戦いが始まった。
 仕事を休み朝早くから美山へ出かけて行く両親。二人共帰ってくると体中、本当に頭も顔も泥だらけで疲れきった様子。ごはんを食べながらの会話も、
「水もないし、電話もない。何から手をつければいいのか?どうしょうか?」
聞いている私も心が痛んだ。ところが三日目のことだ。帰宅した両親の顔がなぜか明るい。母からボランティアの人達が大勢来てくれたことを聞いた。
 「本当に助かった。作業はものすごく進むし、みんな明るくて、ありがたい。嬉しいねえ。」
母はニコニコ笑って本当に嬉しそうだった。私は久しぶりに母の笑う顔を見たと思った。そしてボランティアの人達に「ありがとう」と感謝の気持ちでいっぱいになった。
 部活動の練習や大会で美山へ行けなかった私は、五日目に初めて祖父母に会いに行った。随分片付いたと言われていたが、私はショックでしばらく口がきけなかった。でも皆は黙々と作業している。頑張っている姿にハッとして、私も重いスコップを手に土砂をかきだそうと力をふりしぼった。ちょうどその日は、三国高校の女生徒がボランティアとして来てくれていた。炎天下の中で、庭に積もった土砂を掘り出してくれていた。流れ落ちる汗をぬぐいながら一生懸命に土砂と戦ってくれていた。そんな中、母と話す一人のお姉さんの声が聞こえてきた。
 「三国の海が重油で真っ黒になってしまった時、たくさんの人達が助けてくれました。今度は私達が少しでも力になりたいんです。」その言葉に私は心臓がドキドキした。嬉しかった。そして感動した。心のボランティア…ふとそんな言葉が浮かんだ。生活に必要な物を届けてもらうことは嬉しい。土砂をかき出して作業がはかどることは本当にありがたい。でも一番嬉しいのは、ボランティアの人達が皆口々に、優しい言葉をかけてくれることだ。
 「これからが大変です。どうかお体を大切に頑張って下さい。」
笑顔で「ありがとう」と言う両親を見て私は心が熱くなった。心からあたたかい言葉は、疲れきった祖父母や両親達を笑顔にしてくれる魔法のように、心に響き勇気づけてくれる。優しい心から生まれる言葉は…大切な大切な心のボランティアなのだ。(後半略)
 (県ボランティア作文コンクールの応募作品より)

福井豪雨から学んだこと
   美山中二年 藤田悠里江
 誰も思いもしなかった七月十八日の豪雨。テレビで美山町や福井市が写った時は唖然としてしまいました。美山中学校でも、深さ二十センチ以上の泥がたまっていて、初めて自然って怖いなあと感じました。
 水はひいたけれど泥が残り、いよいよ復旧作業が始まりました。いくら雑巾がけをしてもきれいには落ちず、二、三回ふいても数日後には浮き出てきたりして大変でした。でもあんなにあったたくさんの泥がなくなり、もとの床がところどころに見えるようになり、ここまできたのもたくさんの方々がボランティアにきてくれたからだと思います。ボランティアの方々は、暑い中、泥に汚れるのもかまわず何時間も作業をしてくださいました。他の中学校のみなさんが一生懸命働いているのを見て、私がもし逆の立場だったらしっかり働けるだろうかと思いました。どんなに小さなところについた泥があっても見逃してしまうのではないのだろうか、喋りながらやるのではないかなどというふうに感じました。私も見習いたいと思いました。
 私はこの福井豪雨の水害を通していろいろなことを学ぶことができたと思います。特に県外からもたくさんのボランティアの方々が来てくれたのにはびっくりしました。みんなで力を合わせてここまで元通りになれたことは凄いと感じました。やっぱりお互いどんなに困っていてもお互い様だということが改めてわかりました。(後半略)

災害ボランティアに感謝
   美山町西河原 藤田孝幸
 去る七月十八日私達は百年に一度も経験できない災害<水害>に、まさに悪夢に遭いました。私達の集落は、町でもたぶん最大の被害を受けた集落だと思います。その日から、私達の復旧の闘いが始まりました。
 次の日、集落で被害の大きい家々に村の人達が手伝いに来てくれました。徐々に家の中の石や泥、木々などが取り除かれ、よくなってきましたが、まだまだ復旧にはいたりませんでした。皆の疲労が溜まってきた時、集落でボランティアの受け入れが始まりました。私の家も十人から二十人毎日助けて頂きました。私自身は「ボランティア」というと、言葉を耳にしたことがあるだけで、したこともないし、まして自分がしてもらえるなんて思いもしませんでした。その人達のおかげで、日毎家がきれいになり、どんどん復旧して、十日ぐらい経った頃には、大工さんに入ってもらえるくらいなりました。また、作業ばかりでなく、そのボランティアの方々から声をかけて頂き、自分も家族も疲労がピークではありましたが、元気になっていったように感じられました。
 自分が思うに、災害に遭い、いろいろな人達に助けて頂き、人のありがたみを深く感じました。今は、九月から仕事も営業出来るようになり、家の方も、着々と元に、いえ元以上になってきました。ありがとうございました。本当にありがとうございました。ボランティアの皆さん、またボランティアを受け入れてくれた町、職員、ボランティアセンターの皆さん、ありがとうございました。
 私は、他の地域でもし災害が起きたなら、今度は自分がボランティアとして参加したいと思っています。私達の闘いはまだ終わりませんが、皆さんの力が、私達の心に深く刻まれました。これからも頑張ります。

温かい手に…
   美山町折立 橋本洋子
 七月十八日の豪雨で我が家も被災しました。壁、戸は流され、かわりに泥、大きな石、木などで埋もれ、集落の方と家族で撤去してもなかなかはかどらない現状でした。その中、明るい挨拶でボランティアの方達が救援に駆けつけて下さったのです。今年の夏は、酷暑にもかかわらず、もくもくと作業して下さる姿に、どう言っていいのか、感謝という言葉しか見つかりません。我が家だけでものべ五百名位の方が来てくださったでしょうか。お蔭様で家の瓦礫はきれいになりました。
 ボランティアさんの中に、阪神大震災でお世話になったからお返しなんですよ、と言われる娘さんもいらっしゃいました。帰りに、お身体気をつけて下さいね、と涙を浮かべて握手して下さった温かい手を今も忘れられません。他にも多数の若い方がいて、“今時の若者は…”とは言えないと嬉しくなりました。
 いつか頂いたたくさんの善意を、私もお返しできたらと願っております。

ありがとうボランティアのみなさん
   美山町市波 美濃部友子
 夏休みを目前にした7月18日の早朝,美山町はかつてない大水害に見舞われた。我が家は幸いにも床下浸水ですんだが,車庫や物置,庭などに泥流が流れ込み,ごみ捨て場のようになってしまった。
 翌日から親戚にきてもらい,泥だし作業に取りかかった。でも,少ない人数での手作業には限界があり,遅々として進まない。しかも連日30度以上の猛暑が続き,精神的にも肉体的にも疲れがピ−クに達してきた。豪雨から明日で一週間という土曜日,ついに父が
「ボランティアの人を頼もうか。」と,言い出した。
 「でも,ウチは中じゃないし…」と言いながら,来てもらえるといいなあという思いもうち消せない。そこで聞いてみようということになり, 電話をかけると
「かまいませんよ。早速,明日行ってもらうように手配します。」という快い返事。
 次の日来てくださったのは,上志比村の社会福祉協議会から30名もの人達。
「これはひどいですね。」「たいへんでしたね。」と,まず,温かい言葉をかけて下さり,家族全員,大感激だった。
 作業手順はボランティアの人達に全てお任せであったが,リ−ダ−の指示のもと,テキパキと作業をしてくださり,午後2時すぎには家の周りを覆い尽くしていた泥はほとんど出すことができた。「たかが人の力,されど人の力」で,人が力を合わせるということは,本当にすごいと思う。
 夫は三国沖の重油流出事故の時,ボランティアとして参加していたが,私は今までボランティア活動に参加したことがなかった。ちょっとした勇気がなかったからだと思う。
 でも今回のことでボランティア活動の重要性をしみじみ感じた。作業をして復旧の手助けをするだけでなく,被災者の心を元気づけるということがよくわかった。
 水害で明け暮れた今年の夏。被害を受けてたいへんだったが,人の心の温かさにふれ,生涯忘れられない夏となった。

ありがとうございました
   美山町蔵作 小林孝典
 あれから二か月あまりが過ぎましたが、今なお家屋の復旧作業を続けている方々も多く、完全復興にはまだまだ時間が必要かと思います。
 それでも、町内の復興は目に見えて進みました。特に、災害直後から県内外より駆けつけてくださったボランティアの方々から得た支援には、今も感謝の気持ちでいっぱいです。町内でも指折りの被害を受けた蔵作区では、約二週間で述べ三千人を超えるボランティアの方々が区民の復旧作業を後押ししてくれました。大きな石を汗まみれになって運び出してくれた人たちや、床下の泥を全身真っ黒になって取り除いてくれた人たち…。家屋が土砂で埋まり途方に暮れていた区民にとっては、少しずつでも着実に進んでいく作業の状態が何よりの心の支えになったと思います。
 一人ひとりの力は微々たるものでも、多くの人の力が結集した時の力強さを今回の災害であらためて感じることができました。福井豪雨はじめ、今年の夏は全国各地で風水害が多発しましたが、各地の被害状況を見るととても他人事とは思えません。今回、ボランティアの方々から得た恩を、今度は私たちが返さなくてはいけないと区民一同痛感しています。
 (今回のボランティア受け入れに、キーマンとして尽力下さったお一人です)

再建に向けて
   美山町東河原 松田貴栄子
 福井豪雨で住宅は床上浸水、工場にいたっては壊滅状態でした。その時には何から手をつけたらいいのか判らない状況でした。
そんな時に、息子の会社の人たちが、水、食料、一輪車、スコップなどたくさんの救援物資を持ってボランティアに来ていただきました。最初一週間は、住宅の清掃、床下の泥水除去など、その後には、工場の泥だしなど、町のボランティアセンターの方にもお願いして、毎日たくさんのボランティアの方々に猛暑の中、作業をしていただき本当にありがとうございました。その上、励ましのお言葉も元気もたくさんいただきました。
 今は、なんとか工場の再建に向けて毎日少しずつ頑張っております。ボランティアの方々には心からお礼申し上げます。ありがとうございました。

美山町水害ボランティアセンター
   本部長(社協会長)辻 克己

 福井豪雨により被災されました住民の皆様に心からお見舞申し上げます。去る七月一八日の豪雨から三ヵ月余り経過しましたが被災者の皆様には心身ともにお疲れの処を連日昼夜を問わず住宅などの修復に専念され漸く落ち着きを取り戻し笑顔さえ見える様子が伺えるようになってきました。
 水害により一瞬の内に民家や公共施設が町内一円壊滅的な被害を受けました。建物の屋内や屋外の土石流取り除きには県内外の各団体、一般の人達や高校生から小学生、高齢者まで多くのボランティアの皆様が真夏の炎天下の中、泥まみれになり復旧作業に活躍して下さいました。また、ボランティア受け入れから被災地への派遣まで業務運営にあたり、県内外の社協はじめ、NPO、青年会議所、民生委員、一般ボランティア、住民の皆様がスタッフとなって工具の調達、作業内容、健康管理など、毎日深夜まで検討を重ね、ボランティアの皆様や行政と連携を密にして復旧に向けて努力してまいりました。当初は、復旧作業がいつまで続くか予測もたちませんでしたが、七月二十日の水害ボランティアセンター立ち上げから連日多くのボランティアの皆様の支援により八月三日までに人的作業は終了、僅か二週間で終結、一万六千人余りのボランティアの皆様の結集の賜と住民の一人として感謝の言葉がありません。
 災害の復旧にあたり組織の力強さを感ずることができました。我々は、福井豪雨を生涯忘れることなく末代まで伝えなければと思っています。災害は忘れた頃に起きると言われていますが、今回の水害を忘れずにどこかで災害が起きた時にはボランティア募集に際し一人でも多くのご協力の程をお願いいたします。
 社会福祉協議会は人、町が生き活きみんなが輝く福祉の町づくりを推進目標にしています。今回の災害を機に、これまで以上のふれあい、たすけあいの輪が広がれば、と願っております。


<編集後記>
 迅速に安全にボランティア活動をして頂く為に、日々検討を重ねた水害ボランティアセンターの3週間でしたが、住民の方々に対しても、ボランティアの方々に対しても、いたらない点が多々あったと思います。どうぞお許し下さい。
 自分が被災者になるなんて思いもしなかったあの日から4ヶ月。町内の傷跡はまだまだ癒えませんが、災害とひきかえにもらった支援の輪、温かい心、人という財産、この小さな町美山につながって下さった様々なネットワークが、今後の町づくりに生かされれば、と思います。  
 台風23号や新潟地震など災害続きで社協便りの発行が遅れました。重ねてお詫び申し上げます。(奈)


910-2222 美山町市波30-29-1 美山町社会福祉協議会 美山町ボランティアセンター
         Tel 07797-6‐4842 Fax 6‐7008  e-mail miyama-s@kore.mitene.or.jp