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こちらは福井市美山地区です(旧・足羽郡美山町)

 朝日新聞が5回シリーズで美山町の特集を組んでくれた。そこには福井豪雨災害を乗り越える元気な美山町民の姿が、多く掲載されている。  美山町の行政の動きは、後始末の域を脱していない。数十年後の美山町をどうするのか。現状はバラバラの無策の状況である。元気な住民と行政が協働して、将来の姿を描く活動を開始しなければならない。
  今の美山町に何が必要なのか。その答えが見えてくる特集記事である。(清水)  
  

朝日新聞企画 みやま物語 [福井豪雨を乗り越えて]

  7月18日の福井豪雨から5カ月たった。被災地の一つ、美山町にはまだ被害のつめ跡が残っているが、徐々に復興に向けて歩み始めている。厳しい冬を迎えようとしている美山の人々の姿を追った。

復興した風景 心待ち(1)


福井豪雨のあとに描いた3枚の風景画の前に座る豊田三郎さん=美山町の東河原の自宅で
「涙が出て、描く気になれない」
 
 7月の福井豪雨のあと、美山町の足羽川周辺から、1人の老画家の姿が消えた。同町東河原の洋画家豊田三郎さん(96)だ。

 天気がいいと、トレードマークの中折れ帽をかぶり、自転車に画材をのせて足羽川沿いを走る姿は地元でおなじみだった。親類の同町西河原の主婦川畑美佐紀さん(37)は、「豪雨以前は、写生によく出かけていて、うちにも立ち寄ってくれたが、最近そういう姿をみなくなった」と話す。

 豪雨で豊田さんの自宅も床下浸水の被害を受けた。被災地を記録しようと、8月中旬から9月初旬にかけて自宅近くの足羽川に通い、流された東河原橋の橋げたなど20号(約70センチ×約50センチ)の油絵を3枚描いたが、その後、写生はやめてしまった。

 自宅で花や果物などの静物画ばかり描いている。「かわいそうで涙が出て、風景を描く気になれない」と話す。

 「美山の風景ほど芸術的なものはない」と半世紀以上にわたって、故郷美山の山河を描き続け、展覧会に出展したり、海外のコンクールに応募したりしてきた。92年の代表作「瀞(とろ)」は静かに流れる足羽川の水面に映る山が題材だが、今は同じ風景は見つからない。

 美山町の農家に生まれた豊田さんは福井農林学校を出た後、実家の農業を手伝った。しかし、画家になる夢を捨て切れず25歳で上京した。3カ月間絵画教室に通ってデッサンなどの基礎を習得し、帝国美術学校(現・武蔵野美大)西洋画科に入学した。

 しかし「女性の裸体を描く」という理由で家族から3年間勘当され、苦学の末に卒業。生計を立てるために東京の航空機製造会社に就職し、福島県の軍需工場で終戦を迎えた。敗戦で仕事と住居を失った豊田さんの心には故郷の山河が浮かんだ。「もう故郷を離れんぞ」と誓った。

 帰郷後は美山中学校の美術教員などをした。約20年前に妻を亡くし、今は独り暮らし。ほとんどの家事を自分でこなし、ぶら下がり健康器を愛用するなど健康には人一倍気をつかっている。

 町内で月1回開く絵画教室では、町民ら約20人の受講生に美術論や人生論を語る。生徒の橋本恒雄さん(69)は「豊田先生の講義から毎回パワーをもらっています」と笑顔を見せる。

 「画家としてまだまだ描き足りない」と話す豊田さん。「来年は描く気になれるかな」と、復興した美山を心待ちにする。            (2004/12/22)

精魂の伝統野菜 消すな(2)


河内赤カブの収穫作業をする西川誠一組合長=美山町河内で
河内赤かぶら生産組合
収穫半減「これから雪、復旧は…」

 大野市中心部の七間通りの石畳にシートを広げ、近在の農家がとれたての野菜を売る「七間朝市」。美山町河内(こうち)の川北和子さん(77)は21日朝、いつものように地区の伝統野菜「河内赤カブ」約30キロを軽トラックで持ち込み、シートの上に並べた。

 「これ河内のやつね」「妻がこの赤カブでないとだめなんだ」−−買い物客は河内の赤カブをやっとみつけた、という表情で買い求めていった。

 この日、七間朝市に河内の赤カブを売りに来たのは川北さんだけだった。例年は11、12月に3、4軒の顔なじみが来ていたが、今年は多くが福井豪雨で栽培畑を失った。

 「河内赤カブ」は約800年前に、平家の落ち武者が種を持ち込んだと伝えられている。赤紫色の実の色の鮮やかさとシャキシャキした歯触り、甘みと苦みが一緒になった味が特徴だ。酢漬けは酒のあてとして人気があり、毎年漬ける家庭も多い。

 長年、河内地区の山の斜面で焼き畑農法で作られていたが、近年はスーパーにも出すようになり、平地の田畑でもつくっている。生産者は高齢化で年々減り、今は10軒足らずだ。

 今年7月の福井豪雨で焼き畑用の山は崩れ、赤カブに転作していた田畑は土砂に埋まった。昨年は山、田畑の計約2ヘクタールでつくったが、今年は山は約0.5ヘクタール、田畑は約0.7ヘクタールでしか作付けできなかった。

 「河内赤かぶら生産組合」の西川誠一組合長(63)は「平年は約20トンの収穫があったが、今年はいつもの半分以下になりそうだ。県外からも注文が来るのに対応できない」と悔しがる。

 生産農家は農地や焼き畑につながる林道の早期の復旧を望んでいる。しかし、町内の主な道路などに比べて農地や農業施設の復旧ペースは遅い。国の補助金の査定が11月末に終わるまで、4カ月以上も豪雨直後のままの状態で残さざるを得なかったからだ。

 今後、入札などを経て復旧工事の着工に入るが、西川さんは、「これから雪も降る。復旧は来年春になってもできないのでは」と危ぶんでいる。

 赤カブの生産農家はこれまで他品種と交配しないように、ビニールハウスで種子を採集するなどして、品種と伝統を守ってきた。西川さんらは来年、重機を共同購入して田畑の復旧に取り組み、赤カブの生産の立て直しをはかるつもりだ。(12/23)

復興する姿 発信したい(3)


「ミラクル来る亭」の練習のために集まった木ごころ一座の子どもたち=美山町朝谷島のみやま木ごころ文化ホールで
被害者励まし元気のシンボル

 美山町内には二つの市民劇団がある。7〜68歳の町民約60人でつくる「木ごころ一座」と豪雨で深刻な被害を受けた同町蔵作地区の56〜81歳の男女16人でつくる「ババーズ」だ。その明るいパワーが被災者を励まし、外向けには美山の元気さのシンボルとなっている。

 木ごころ一座は今月26日に同町朝谷島のみやま木ごころ文化ホールで定期公演を催す。今年で8回目だが、福井豪雨のため公演は2カ月遅れになった。23日から最後の追い込み練習に入った。

 演目は「ようこそ!ミラクル来る亭へ」と「ムコ殿の条件」。「ようこそ」は町営の温泉宿泊施設「みらくる亭」をもじった架空の宿を舞台に、心を病んだ主人公マリオが宿の従業員たちとのふれあいを通じて温かい心を育んでいくというミュージカル。

 「ムコ殿」は、江戸時代末期の美山で都の商人が婿を探すという民話調の話。「心身ともに疲れた町民に元気を」と「温かい心」をテーマにしたオリジナル作品をつくった。

 豪雨後は「今年は公演できない」という雰囲気がたちこめた。「ムコ殿」で馬鹿息子を演じる大野東高3年の山崎耕平さん(18)は「こんな状況で公演していいのかはじめは複雑だった」と本音を漏らす。しかし座長でみやま木ごころ文化の郷館長の林幸男さん(68)や舞台監督の会社員清水正一さん(51)らが「ボランティアらのおかげで少しずつ復興している美山の姿を発信したい」と話し合って公演を決めた。

 「ようこそ」で、宿の女主人を演じる美山啓明小6年の藤田ももさん(12)は「公演は中止だと思っていたけど、9月に今年も劇をやると聞いて本当にうれしかった」と振り返る。入場料収入は、復興のため町に寄付する。公演は午後2時と6時半の2回。

 「ババーズ」はコメディー劇団。活動を初めて3年目だが、「年配の団員のしぐさが笑いをさそう」と評判になり、町内外の団体から公演依頼が舞い込む。今年の演目は蔵作地区の老夫婦の情愛をコミカルに描いた「三途(さんず)の川の爺(じい)さん」で、23日に丸岡町のロータリークラブのクリスマス会に招かれ、70人を前に今年最後の熱演をした。

 団員のほとんどは床上浸水などの被害をうけ、今も2人が仮設住宅に入っている。そのうちの一人、高松よし子さん(75)は「今の生きがいは劇。皆さんに笑ってもらうことは本当にうれしい」と話す。爺さん役の島田三枝子さん(64)は「演劇にはハレがある。孫も『ばあちゃんすごい』というしね」と笑顔だ。

 被災住民による2劇団は演劇で人を癒やし、自分たちも癒やされ続けている。(12/24)

歌うことで励ましたい(4)


会場の住民に手拍子を求めながら熱唱する恩地美佳さん=美山町西河原で
「美山ハイヤ節」で故郷見つめ直して

 ハイヤーノ、うとおて(歌って)おくれやす、皆もろともによー、うとおてその場がそーら勇むよに、ハイヤーノー

 民謡歌手恩地(おんち)美佳さん(36)が三味線に合わせて町の民謡「美山ハイヤ節」を陽気に歌い始めると、地元のお年寄りの間から「おおっ」と声が上がり、恩地さんの求めに応じて手拍子が起きた。

 美山町西河原の「西河原ふれあい会館」で11月末に地区住民が催した復興コンサートには約70人が集まった。

 西河原地区は福井豪雨で36戸のうち9戸が全壊、3戸が半壊、一部損壊の被害を受けた。秋の祭りは中止になった。地区住民が集うのは、豪雨で約130人が会館に避難し、肩を寄せ合って不安な一夜を過ごした7月18日以来になる。

 ハイヤ節は江戸時代に北前船によって酒盛り唄(うた)として全国に広がった。美山のハイヤ節は、正式には河内(こうち)ハイヤ節と呼ばれる。

 町内で歌い手が数人しかいないといわれるこの民謡を、恩地さんは県教委などの資料をもとに2週間練習した。美山での公演は3回目だが、美山のハイヤ節を歌うのは初めてだ。美山全体の復興の思いを込めて河内ハイヤ節ではなく、俗称の美山ハイヤ節と紹介して歌った。

 5番目を歌い終えて、「みなさん、こんな歌い方で間違ってなかったでしょうか」とにこやかに語りかけると会場から大きな拍手がわいた。

 復興コンサートは地区の会社員清水正一さん(51)が企画し、面識のある恩地さんに手紙を書いて出演を依頼した。

 福井市在住の恩地さんには弟子が約40人いる。市内の3、4人が福井豪雨で床上浸水の被害を受けていることもあり、被災者を元気づけるようなコンサートができないか思いをめぐらせていた。いくつか打診もしたが、「コンサートをすると『浮かれている』とみられる」と断られた。

 恩地さんは清水さんの出演要請を受けたうえ、無償を申し出て、知り合いの豪州人ギタリスト、トラビス・ホワイトさん(27)にも共演を呼びかけた。「私は歌を歌うことでしか、被災者を励ますことができない。依頼を受けたときは本当にうれしかった」と話す。

 恩地さんは、この日、1時間のコンサートで民謡だけでなく、ポップスを含め10曲を披露した。清水さんは会場のすみでコンサートの様子をながめながら「ここに地区のほぼすべての人が集まるのは豪雨以来。ここまで復興してよかった」と目をうるませた。

 恩地さんは「被災した美山の人たちに故郷を見つめ直す機会に」と次回の自分のCDに「美山ハイヤ節」を収録したいと考えている。(12/25)

隣人と協力 得た郷土愛(5)


手作りのログハウスの前で美山への思いを話す川上春男さんと万里子さん=美山町南西俣で
復興への地域の結束に驚き 

 福井豪雨は大きなつめ跡を残したが、美山町民は復興に向けて団結し、新たな郷土愛を生みだした。それは特に町外から来た人たちに顕著だった。

 豪雨から約1週間、美山町西河原の銀行員川畑克彦さん(37)は仕事を休み、同地区に設けられたボランティアセンターにいた。ボランティアを各戸に振り分け、住民、ボランティアの要望を聞くのが役割だった。「ボランティアが簡易トイレを使うのですぐに満タンになって使えない」といった相談も丁寧に応対する。夕方には各戸をまわり、復旧状況を確認し、翌日のボランティア配置計画を立てた。「銀行員として培ったクレーム処理の経験が役に立った」と言う。

 川畑さんは春江町出身。美山町に妻美佐紀さん(37)の実家があり、結婚を機に10年前に引っ越してきた。美山の生活は、顔見知りもほとんどいない状態で3年間続いた。金沢、東京に転勤し、都市での生活を「文化的だ」と喜んだ。3年前、再び県内に転勤になり美山に戻った。しかし、都会生活へのあこがれを引きずっていた。

 豪雨当日、川畑さんは避難所で多くの人と初めてあいさつを交わした。手分けして炊き出しなどをする様子に「この地区にこんな力があったのか」と感心した。流木や土砂の撤去を一緒にするうちに、「豪雨のおかげで初めて町の一員になれた」と実感した。「見知らぬ土地」が「愛する地元」になった。

 西村彰夫さん(62)は妻の美須枝さん(64)と第二の人生を地方で過ごそうと今年3月、神奈川県から同町神当部(かんとべ)に引っ越してきた。数カ月たち、「田舎の人間関係は難しい」と感じ始めた。そして、豪雨に遭った。道路や水道施設が土砂に埋まる非常事態だったが、普段は必ずしも協力的でない住民同士が協力して復旧作業に取り組んだ。「いざというときの結束力がすごい。都会では考えられない」と地方を見直した。

 同町南西俣に住む川上春男さん(70)は妻万里子さん(65)と10年前、一人娘の長女が嫁いだこの地区に家を建てて大阪から移り住んだ。自然の美しさを実感したが、地元の人々との価値観の違いを感じていた。

 豪雨で川上さんの自宅玄関前は土砂でいっぱいになった。途方に暮れたが隣に住む高校生の孫が土砂のかき出しを手伝ってくれた。万里子さんもスコップを持ち、春男さんとともに側溝などの泥かきを始めた。なれない仕事だったがやりがいはあった。人に助けられ、助けるうちに家族や地域の人々と力を合わせて生活する大切さを知った。

 今の気持ちを川上さん夫妻に尋ねた。「美山に骨を埋めるつもりです」と笑顔で答えた。
(12/26)(終)
(松尾一郎が担当しました)

 このシリーズの取材をしてくれた朝日新聞・松尾一郎記者は、長期間に亘り、美山町を我々町民の視点で取材をしてくれました。 時には私たちと同じ立場で活動にも参加してくれました。表面的な見える部分だけではなく、復活に懸ける町民の心の中まで取材してくれた松尾記者に、深く感謝します。(清水)

<おまけ>松尾一郎記者が、新婚の奥様を連れて、東京から美山へ久しぶりに、遊びに来てくれました。仲間たちが集まって、新年会を兼ねた歓迎会を開催、久しぶりに昔話で盛り上がりました。2009.1.3「内くら」にて

前列中央が松尾夫妻

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