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美山

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こちらは福井市美山地区です(旧・足羽郡美山町)

越美北線と美山
福井新聞が素晴らしい特集を組んでくれた。(2008.9.30〜10.16)
越美北線の各駅と、共に暮らす周辺住民の気持ちを描いた特集を、
美山町内の部分だけ、記録に残させていただきます。

 

 (7) 越前高田 福井市高田町

 
名木タラヨウ 出迎え
旧美山入り口に彩り
 
 一乗谷駅を出発すると、車窓からの景色は、ぐんと緑が濃くなり、水面のきらめきも美しい。足羽川には、長い友釣り用のさおを流れにまかせ、アユを狙う太公望たち。ここから、美しい杉林に包まれた山紫水明の地、旧美山町に入る。


美しい景色の中を行く越美北線。3つ目の鉄橋を越えると間もなく越前高田駅

 一乗谷駅から美山駅までは、蛇行する足羽川に時に寄り添い、時にまたぐように鉄路が走る。一乗谷駅から3つの鉄橋を越えると、ようやく越前高田駅に到着。この駅は、越美北線の開業から遅れること3年半の1964(昭和39)年5月、一乗谷―市波間の住民の要望が実り、新たに開業した。
 駅のすぐ近くには、県指定天然記念物「真杉家のタラヨウ」。樹齢は1000年以上、樹高25メートルは全国一、幹周り2.7メートルは埼玉県慈光寺にあるものに次いで2番目という名木。威風堂々とした姿で出迎えてくれる。


越前高田駅近くに堂々と立つ県指定天然記念物の「タラヨウの木」=福井市高田町

 少し歩くと、福井藩士の井上翼章が文化12(1815)年に名所、旧跡、産物などをまとめた「越前国名蹟考」に名を残す「鳴滝」。傍らには延宝5(1677)年に建立された「鳴滝不動」があることからも、古くから親しまれていたことがうかがえる。


 

 今年、近くの山岡美智子さん(68)は駅向かいの畑に、オレンジ色したヒマワリの仲間、チトニアの花を20株に増やした。昨年は5株だけだったが、復旧間もない越美北線の乗客が駅のホームに降り立った瞬間、「きれいな色。目が覚めるね」と話しているのを聞いたからだという。「越美北線の窓からでも『きれいな花が咲いてるなー』って思ってもらえるとうれしい。一人でも多くの人に乗ってほしいから」。こうした気配りの景色も、まちづくりの盛んな美山の入り口らしい。

 

 


 

 (8) 市 波 福井市市波町

 
半世紀見守る桜並木
 
 水田と山並みを臨む小さなホームは、越美北線の無人駅ではおなじみのスタイル。ただ「春の市波駅は、遠くの車内からでもパッと明るく見える」。JRのベテラン職員がそう語る理由は、駅南側の小さな広場に立ち並ぶ桜並木にある。毎年春になると、駅に向かって枝を伸ばす桜17本が一斉に薄ピンクに染まる。わずかな停車時間、列車の客席は花見の“特等席”に早変わりする。


春には満開の桜並木がホームを彩る市波駅=福井市市波町

 桜が植えられた時期や経緯に関する記録は、JRにも残っていない。美山町史によると、越美北線の開業は1960年だが、工事着工は35年にまでさかのぼる。39年に南福井―越前大野間に軌道の土台となる路盤が完成したが、次第に戦時体制が強化されて資材不足などで工事は中断。戦後の56年になって、地元の要望でようやく工事が再開された。
 開業直前の59年ごろ、線路敷設の現場で働いていたという駅近くに住む男性(82)は「開業したとき、桜はすでにあったように思う。開業を記念して地域で植えたのでは…」と記憶をたどる。
 植樹の正確な年代は分からないが、開業を機に福井市内の工作機械メーカーに就職した男性が、列車で毎日通勤する姿を桜が見守ってきたことは事実。「列車が通るまで、福井市内に行くには自転車を使っていた。福井に向かう当時の列車は市波駅ですでにいっぱい。終点までずっと立ちっぱなしだったが、それでも開業はありがたかった」


 

 半世紀近くの間、沿線住民の生活を支えてきた越美北線の歩みとともに、市波駅の桜並木も成長してきた。毎年、春が何より楽しみという男性は、満開の桜を眺めると「昔からのことをなんもかんも思い出す」という。
 越美北線沿線でただ一つ、春は桜に包まれる市波駅。17本の木々は来年の春も乗客や地域住民を喜ばせるため、今は武骨な姿でじっと力を蓄えている。

 

 

 (9) 小和清水
      福井市小和清水町

 
住民の心、ホームに華
 
 市波駅を出た列車は、足羽川を縫うようにしてさらに東へ。左手に迫った山並みが再び遠ざかると、小和清水駅が見えてくる。沿線では福井豪雨の影響を最も受けた地域の一つ。駅の上り側と下り側の両方で鉄橋が流失した。


全線復旧に合わせてホームの片隅にプランターが飾られた=福井市小和清水町

 「目の前で川の水位がどんどん上がっていくのが恐ろしかった」と振り返るのは村田春美さん(49)。四年前の豪雨で、自宅のすぐ近くにあった駅東側の第7足羽橋りょうが姿を消した。
 「農作業の人たちの時計代わり」にもなっている越美北線。田畑に出ると、列車通過を合図に昼食へ帰り、休憩を挟むお年寄りも多い。村田さんの母優美子さん(78)も、そうした一人。鉄橋がかけ替えられ、3年ぶりに走った列車を眺めたときは、思わず手を合わせて復旧を感謝した。


かつて「桜の駅」として知られた小和清水駅付近=1996年4月撮影

 かつて線路脇の春を彩っていた桜は、2003年のふれあい会館建設に合わせ、惜しまれながら撤去された。現在、ホームを飾るのは、プランターに咲くマリーゴールド。昨年6月の全線開通に合わせ、「復活の感動を忘れないように」と村田さんが置き始めた。


 

 水やりの世話を今夏から引き継いだのは、近くに住む井上ひとみさん(57)。「恥ずかしいのでなるべく人目につかないように」と毎日早朝と夜にホームへ足を運ぶ。乗客数は1日平均10人足らずだが、「花があると来た人も心が和むでしょう」と手間をいとわない。
 小さな待合室があるだけの簡素なホームで、存在感を示す赤やオレンジの花々。未曾有の災害を乗り越えて戻ってきてくれた越美北線に寄せる住民の感謝と愛情を象徴しているようだ。

 


 

 (10) 美山
      福井市境寺町

 
地区の顔 コンビニも

地図

 

 美山駅は越美北線20の無人駅の中で最も充実している。大手コンビニのローソンと美山観光ターミナルが併設。24時間営業のコンビニは地区唯一で、地元産杉を利用したターミナルの待合室はぬくもりを感じさせる。旧美山町の名前を冠した地区の”顔”として今や、地区民自慢の駅だ。
 美山駅が今のように大きく生まれ変わったのは2003年12月。JR西日本金沢支社は1960(昭和35)年開業以来の築43年の駅舎を撤去し、跡地へのローソン誘致を決定した。JR敷地にコンビニを誘致するのは異例のことだった。
 改築前の美山駅は1日の平均乗車人数が100人前後まで減少した1992年に無人化。その後も50―70人台で推移。町の”顔”に陰りが見えていた。
 そこに町民が待ちこがれていた初めてのコンビニ。町は「地域活性化につながる」と、JRのコンビニ誘致に合わせて駅周辺整備を実施した。駅周辺の町有地に地元の世界的洋画家の豊田三郎画伯や河内赤かぶら、おろしそば、地元の温泉など美山を紹介する観光ターミナルと駐車場を設けた。
 にもかかわらず、04年の福井豪雨で美山−一乗谷駅間が不通になる不幸に見舞われ、利用者は減少。07年度には全線復旧したものの1日35人にまで落ち込んだ。


コンビニと観光ターミナルがある美山駅前で開かれたコンサート=8月24日夕

 

 今年8月24日。美山駅前コンサートが開かれた。企画の中心となったのは若くしてローソンを経営している竹山丈介さん(30)=蔵作町。地元高校生らが初々しいバンド演奏を披露。周囲ではまちづくりの仲間たちが、縁日のようなゲームコーナーを運営してコンサートを盛り上げた。
 「美山駅は美山の中心。地区が栄えるには、まちの真ん中に人が集まらないと」と竹山さん。将来は毎月のように駅前イベントを開くのが目標だという。生まれ変わった駅を使った地域活性化が動き出した。

 

 

 


 (11) 越前薬師 福井市薬師町

 
「田吾作」 美化に一役
 
 美山駅を過ぎた列車は、次第に狭い谷間へと向かう。羽生川と国道158号、そして越美北線が並行して走る幅は、狭いところで30―40メートル。この辺り一帯は「物干しざおが架かるような所」と言われるほど山々が迫っている。そこに越前薬師駅は、ひっそりたたずむ。


山と山の間を縫うように走る越美北線。越前薬師駅周辺では美化活動が始まっている

 駅のある薬師町には上、下薬師の集落があり、明治初期までは、それぞれ絵戸、百戸という地名だった。駅前の集落は下薬師で、15戸と世帯は少ないが、美山地区が生んだ“エンターテイナー”が住んでいる。県内外のイベントに引っ張りだこの名物おじさん、「百戸田吾作」=本名・前田正治(56)=さんだ。
 こっけいな踊りなどで人気者の田吾作さんは、体調を崩し昨年2月に手術。退院後、体調も回復し、豪雨により止まっていた越美北線の再開に合わせるかのように、役者活動も再出発した。


 

 駅や車内で“田吾作ダンス”を披露するなど、越美北線の利用促進に一役買っている。体重は88キロから66キロへと激減し、トレードマークだったふくよかなおなかは引っ込んだが、磨きがかかった軽快さで笑いを誘っている。
 現在、力を入れているのが地元、越前薬師駅周辺の整備。「注目してくれる駅にならんかなあ」と思い立ち、駅前の農地に水を張りスイレンを、歩道にはアーモンドの木を植えた。まだ始まったばかりだが、近所の人も草取りなどに積極的に協力し、美化活動がスタートしている。


全線再開1周年に合わせ、車内で存続を訴える田吾作さん

 1960年の開通時から同駅を利用し、学生時代は通学の足として欠かせなかった越美北線。豪雪の時は、地元住民総出で線路の除雪に繰り出すなど、思い入れは大きい。
 県内外から招かれイベントを盛り上げている田吾作さんは「時間はかかるだろうけど、人が見に来るようになるまでにしたい―」と話す。次は、花々に囲まれた地元の駅で、愉快な田吾作ダンスを披露することを夢見ている。

 

 


 (12) 越前大宮 福井市大宮町

 
自然が似合う中間点
 
 目の前は秋色の田園、背後は濃緑の山。雄大な自然が似合う、小さな無人駅舎が越美北線の中間点だ。23駅(福井駅を含む)のうち12番目として、福井と大野を今もしっかり結ぶこの駅では、交通の歴史が垣間見られる。


 

 駅がある大宮町は、何百年も前から福井―大野の人の往来が盛んな地域。源義経が平泉に逃れる際に立ち寄ったという言い伝えも残る。昭和初期までは商人も住み、荷物を背負って大野へ向かう歩(ぼっ)荷(か)の姿も頻繁に見られた。


福井―九頭竜湖の中間点、越前大宮駅に止まる列車(正面が駅舎)=福井市大宮町

 そんな地域にとって待望の鉄道敷設だった。列車が走り出したのは1960(昭和35)年。近くに住む高瀬信夫さん(74)は当時を振り返る。「村人は『生活がどんなに便利になることか』と鉄道の完成を夢見ていた。開通時は列車に手を振って祝い、皆思い思いに列車に乗った」。
 妻の春子さん(71)も続ける。「中はぎゅうぎゅう詰めの超満員。赤ちゃんがつぶされるかと心配だったほど」とにぎわいぶりを思い出す。


国道と並走する越美北線。黄色い特別車両は年に2回、レール点検のため走る=福井市縫原町

 しかし活気ある幕開けとは裏腹に、国道158号がぴったり並走するこの地域では「自動車」の普及と反比例して客足が遠のいた。車の存在が「ライバル」となった。
 そんな歴史を持つこの駅も、住民からの愛情は昔も今も変わらない。駅裏には住民が植えた11本の桜並木。冬場に積もるホームの雪も住民がせっせと取り除く。2月には駅裏の広場で左義長祭りも行われる。
 「国道を走る車の音より、列車の警笛が聞きたい」。そんな住民の声に応えるかのごとく、今日も列車は「ガタンゴトン」としっかり車輪を転がせて、福井と大野を結んでいる。


 (13) 計 石 福井市計石町

 
今も残る「峠の茶屋」
 
 旧美山町内を行く越美北線は、国道158号と隣接しながら東へ進み計石駅=★ふくい知りたい=に到着する。国道をはさんだ真向かいには「たばこ」「塩」「酒」の看板に彩られた「水本商店」。かつては大勢の人が利用し、今はにぎわいが遠のいた“足”と店。大野市に入る手前の福井市最後の駅には、懐かしの風情が漂う。


 

 商店は看板の商品だけでなく、お菓子にジュース、油や洗剤など一通りそろった村の何でも屋さん。かつては大野へ向かう花山峠を徒歩や馬車で越える人たちの峠の茶屋だった。現在の国道158号が通った昭和20年代に、集落内を通る街道沿いから移ってきた。計石駅は1960(昭和35)年に開業。商店を営む水本豊さん(80)は店の目の前にできた駅と越美北線をずっと見てきた。
 開業したばかりの昭和30、40年代。「通学の子どもだけでも、何十人かいたと思う。にぎやかでした」と水本さん。計石はもちろん、隣接する野波や川上集落の中高生が計石駅から学校へ通った。自転車やバイクでやってくる生徒たちに水本さんは「裏に置いときね」。いつしか商店裏は駐輪場になった。
 それが今では「子どもも減ったし、学校の時間にもなかなか(ダイヤが)合わないようだ」とあって、乗車人員は1日平均で10人前後まで減った。


国道158号をはさんだ向かいに商店がある計石駅=福井市計石町

 同じように「商売も厳しくなりました」。それでも「もうけよりも、村の人の役に立っているという思いがあった。なるべく灯は消したくない」と続けてきた。
 一家に1台以上乗用車があり、少し遠くのスーパーにも気軽に行けるような時代になった。“便利”さと反比例するように、にぎわいを失った。越美北線と似た境遇をたどってきた店で、水本さんは今日も汽車を見守っている。
 
福井知りたい
計石(はかりいし)
 
 通称・羽生街道(現国道158号)沿いの集落で、江戸時代から昭和初期まで福井―大野間の物資輸送とともに発達。かつては秤石と書いた。地元白山神社に石ますが保存されており、美山町史などによると、このますが集落名の由来とする説もあるが、定かではないという。

 


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